« アウトサイダー | トップページ | 新人賞 »

2012年7月10日 (火)

ドイツ語の手紙

大学1年生の夏休みの宿題で、ドイツ語の手紙をドイツ語の助教授に出す、というのがあった。

時候の挨拶の後、私はヘルマン・ヘッセについて書いてみた。自然と文明の狭間で生きる文人の悲しみ、苦しみ。そういう内容だったかと思う。

はじめて書くドイツ語の手紙。中学以来のヘッセの読書を下敷きに、レクラム文庫を買い、寝るときも文章を推敲しながら、一週間ぐらいかかってこれを書き上げ、投函した。

この手紙は、Wundarbar!という最高の評であった。英語のwonderfulである。嬉しかったが、次にドイツ語で一文が添えられていた。「出典がわからなかった。うまくやったものだ!」。助教授は、私の手紙を、どこかの評論家の文章からの引用と考えたのである。モノノ本にある言葉を、上手に写したものだと。

私は、助教授からすれっからしのノウハウ人間とみなされ、蔑まれたのだった。田舎育ちの18歳は心から悲しみ怒ったが、抗議はしなかった。東大という大学にいる学生は、学問ではなくヨウリョウによって自分の成績を上げる者が多く、教師はそれを見破ったり適当にいなしたりするのがルーチンワークとなっている。そういう現実を思い知ったからだ。

あれから35年たった。私も母校の教授をやっていて、「すれっからし」のレポートを大量に読むこともある。しかし、18歳の自分自身が書いたドイツ語の手紙のようなレポートを、正しく評価する目だけは持っていたいと心から願い、実践している。

坂井

« アウトサイダー | トップページ | 新人賞 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/584940/55162017

この記事へのトラックバック一覧です: ドイツ語の手紙:

« アウトサイダー | トップページ | 新人賞 »