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2013年2月

2013年2月 3日 (日)

序盤か終盤か(自歌自註)

目にせまる一山の雨直(すぐ)なれば父は王将を動かしはじむ 『ラビュリントスの日々』

「文藝春秋」新年号「新・百人一首 近現代短歌ベスト100」で、岡井隆さんがこの歌について懇切な解説をしてくださり、とても嬉しかった。

岡井さんは、この歌で王将を動かす局面を、終盤、作中の「われ」が父親を追い詰める場面と解釈されている。これもとても興味深いことだ。

この歌の将棋の局面を序盤(王を囲い始めるところ)と解釈するかたと、終盤(王を追いつめるところ)と解釈するかたと、読者はふたつにわかれる。中山明など私と同世代以下の歌人は多くが序盤派であり、馬場あき子や岡井隆など年配のかたがたが終盤派のようだ、

この解釈の差は、もしかしたら、作者である私と、鑑賞者の関係も反映されているのかもしれない。同世代以下は、この歌の作中一人称に感情移入するのだろうし、年長の(私にとって先生にあたる)方々は、「父」に感情移入する。単純すぎるかもしれないが、そんなことも想像される。

歌はけっきょく読者のもの。作者は序盤のつもりで作ったが、今となっては、私の意図にはたいした意味はないだろう。

(坂井)

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