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2013年3月

2013年3月24日 (日)

半島のごとき〈過剰〉

春怒濤とどろく海へ迫り出せり半島のごときわれの〈過剰〉が  『北二十二条西七丁目』田村元

今、職業人として生きていくとしたら、感情でも欲望でも、〈過剰〉は持たないほうがいい。一方で、若者であることを主張するのは、まさに〈過剰〉だろう。

今の若い人の歌としては、どこか火照った感じが残る。「半島」にエロスを感じさせるのも、定型的だが自然だろう。

この作者の場合、感情の起伏をわりあいにナマに歌に持ち込み、かなりの熱を発散するが、これが読者を不快にしない。これはなかなか、である。

(坂井)

やさしい守護霊

三十代くらいのやさしそうな男性がぼくの守護霊とおしえてもらう 『日本の中でたのしく暮らす』永井祐

この守護霊は頼りになるかどうか怪しいが、ゴルゴ13のような強面よりもありがたいかもしれない。ほんのりと楽しく、どこかさびしい気分。

結句「おしえてもらう」も、頼りないおもしろさを出す意味でよく効いているのだろう。われわれが使ったことのない結句だ。この歌の主語は、霊能者、ということになるのだろうが、永井は彼(女)にうっすらとした共感をもってもいるようだ。

日本の中でたのしく暮らす。これは今、とてもむずかしいことになっている。生の困難を逆説的にやさしい調べで述べようとした、とも読める。

(坂井)

うすき本をかかげて

なにとなく椅子は回りてそのうえのわれ回るうすき本をかかげて 『窓、その他』内山晶太

われにかえると、あらためてこういう自分に出逢うことがある。特に大きな意志や作為が働いているわけではない。でも、これも大切な生の一コマであり、何かの意味があるに違いない。

私ならば、「うすき本」とせずに、開高健とか、『海辺のカフカ』とか、作家か作品の名前を入れただろう。でも、この作者は、あまり味付けの濃い演出を好まないようだ。

能動的過ぎないが、受動的ではない生。演技らしくない演技はしっかりとある。淡いことは淡い。しかしとても魅力的な歌だ。

(坂井)

わがいとほしきものは地を這ふ

フェルディナン・シュヴァルよ、蟻よ、かなへびよ、わがいとほしきものは地を這ふ 『さよならバグチルドレン』山田航

フェルディナン・シュヴァルは変人だった。郵便配達をしながら、33年かけて壮大な宮殿を築いた。

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シュヴァルの後に蟻が来てかなへびが来る。そう。人間も動物であり、動物としてなにごとかをやって死ぬ。せめて「なにごとか」がおもしろければ、と思う。

呼びかけから自己省察へ。今の若者の歌としては、比較的単純な作りだが、気分が通る。感傷あり、夢想もあり、そして作者にとっての現実もある。

作者が生きる理由を述べた歌とも読める。『人間の絆』のペルシャ絨毯にも近いかもしれない。

(坂井)

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